ライトネス
僕らはたった一つのものを欲しがる狩人
裏切りの加熱 先見の剥奪
だけどあるとき気づいた
世間は乱雑だというけど
僕らは何も持ち合わせていなかった
ねえ あのウワサ本当かな
心と体一対あれば一緒にいられるって
捨てようか 揃えきったカードを
肌蹴ようか 分厚いコート切り裂き
何もこの手にないのにたったひとつだけ在るなんて
魔法みたいに可笑しな話
僕に君の瞳を見せて
君に僕の 僕に君の
嘘のない姿を瞳に重ねよう
それがきっと一緒ってことさ
「気だるい」
朝一番のセリフとしては定番だ。時計に目をやれば昼の12時。
……なかなかにいい時間だ。
「じゃあお昼にしましょうか」
同じ闇の底にいたというのに、彼女の声はいつものように軽やかだった。
湖の上を、白鳥のような細い足で散歩しているかのように。
「羨ましい」
「何が?」
混じり気のない疑問。
「こんな僕と一緒にいるのに、君はどろどろにならない」
「どろどろ?」
「そう」
「例えばこんなかな?」
昨日買ってきた特売のブルーベリージャムを、食パンにのたっと乗せる。塗ってはいない。
「せめてトーストに」
「あら、横着じゃないのよ。このメーカーの食パンは封を開けたそのままの風味をお楽しみくださいって」
「書いてあるの?」
「無い」
あっけらかんと言い切られると、返す言葉も無い。
ふたりベッドに腰掛けたまま、ジャムの塗られたパン、いや、パンを敷いたジャムをいただく。
「甘い」
「はい、牛乳」
ごくごく。
「薄いね」
「低脂肪乳だからね」
「なんで普通のじゃないの」
「安いから」
彼女の美点を述べるならば、答えによどみが無いことだろう。たとえ身も蓋もない貧乏さらけ出し状態でしかなくてもね。
いや、清貧、とあえて言おうか。彼女には飾りが必要ない。白く細いのどからはつらつと発生される言葉に嘘偽りというデコレーションがいらないように、彼女の周りにもそれはいらない。
「今日の君の頭は疑問だらけなんだね」
「なんでも知りたい年頃なの」
言いつつ、シャツにネクタイを通す。苦手だったブレザーの制服も、一年も着ればまあ慣れる。
「じゃあもうひとつ教えちゃおうかな」
「何?」
「今日のパンツの色はね」
「……もう知ってる」
午前中の授業を全てサボタージュして、昼休みど真ん中の時間にふたり仲良く登校して来れば、クラスは一気にやましい空気になる。
背中に強く押されるような衝撃。
「蹴ってやりたい」
「もう蹴られてます」
制服に足あとを残してくれたのは、クラスメイトの芽衣子。口よりも手よりも足が先に出る。
「あんたねえ!入学当時は穢れの無い、天使のような子だって生徒教師問わず評判だった翠ちゃんにサボリを覚えさせて!」
「それでも成績一位なんだからちょっとくらいじゃ文句言われないって」
「それはね、あんたがいばっていいことじゃないの、努力を怠らない翠ちゃんが偉いの!」
そう、翠は努力を怠らない。闇の底に一緒に沈んでも、彼女は僕の眠った隙に起き出し、勉学に勤しんでらっしゃるのだ。
「翠ちゃんは由香利のお母さんじゃないんだから、あんまりコキ使わないように」
「ふあい」
「なにそのパンクした自転車みたいな返事!今の今まで寝ておいてまだ寝る気か!」
「うるさいい」
「うるさくない!私がうるさくしたらこんなもんじゃすまないよ、やってみる!?」
「やってみなくていいから寝かせて……」
そんな僕らのかしましいやりとりを、翠はくすくすと小さく笑いながら、次の授業の準備をささっと済まし、あまつさえ予習を始めようとする。軽やかに。
「優等生……、否、半ドン優等生」
「ちゃんと卒業できるのかしら」
「心配してくれるわけ?」
「心配しなくても、あんたはきちんと留年できるわよ」
授業は退屈。しかし僕には意外な才能があって。
それは、ごく退屈な授業の内容を、まるで宮廷絵師のごとき華やかさでもってノートを彩ることが出来る、という能力である。豪奢で、かつ、授業のポイントが判り易くまとめられている。
これがすこぶる評判が良い。特に教師陣に。そのまま教科書にしてしまいたいとさえ言われている。その能力のおかげで、多少のサボり癖にもあまりガミガミ言わず、大目に見てくれている、のだと思う。もう諦められている、ということではないと信じたい。成績は、まあクラス平均には届いているんだし。
午後の授業終了のチャイムが鳴る。
「今日はここまで」
キリツレイチャクリク。クラスに花が咲いたようなざわめきが生まれる瞬間。に、水をさすように男性教師が告げる。
「あー門山に桐崎。お前らそろそろ出席日数怪しいから、逆半ドンは慎むように」
見捨てられるギリギリだったようだ。
「特に門山。桐崎はまだ良いが、お前は成績鑑みてもギリチョンだからな」
「うへえ」
「うへえはやめろ。女の子だろ」
実はそうでした。
私立御崎ヶ丘女学園は、その名の通り女子校である。女子だけの花園ではあるが、中には自分のことを「僕」と呼ぶ変わり者もいる。いてもいいじゃないか、吐いて捨てるほど女子はいるんだし。
「あの教師、何かにつけて女の子だからこうしろってさ。男のあいつが僕の何を分かるってんだ」
「わかるんじゃないの?学園勤続20年のベテランさんだよ?」
「うへえ、ロリコンなんじゃないの」
「それを言ったら、日本全国の男性教師がロリコンだよ。ああ、自分で言ってて鳥肌立った」
「ふたりとも、それは先生方に失礼」
「「すいませんした」」
声が重なり、ひとしきり笑う。
私は、こんなサボリ魔が言うことでもないが、この学園が好きである。教師と生徒の距離が程よく近く、心地が良い。何より、友達がいる。
私立の女子高だからなのかな、景観にも気を使っていて、門の奥にはちょっとした公園と見間違うばかりの広場がある。薔薇に彩られたイングリッシュガーデン。生徒達の憩いの場でもある。
私はそこを縦に突っ切るような野暮なことをせず、広場を左に眺めながら迂回するコースが好きで、ふたりにもこの帰り道に付き合ってもらっている。彼女達も、この僕のこだわりにすぐ馴染んだようで、何一つ文句は言わない。このほうが、長く一緒でいられるしね。
そう、芽衣子とは、校門で別れることになっている。通学路が真逆なんである。
「じゃあね、由香利、翠ちゃん。翠ちゃん、明日は由香利のお寝坊に付き合うこと無いんだからね!」
「付き合ってないよ、合っちゃうんだよ」
「翠ちゃんはお寝坊さんじゃないでしょ?」
「うん、違うよ」
本当に淀みない。
「んん?まあいいや、とにかく遅刻しないように!じゃ!」
「じゃあまた明日」
「じゃーねー」
時は残酷だと思う。優しい時間なんてあっという間。暗く淀んだ時間こそこの星の真の時間だと思わされるほど、闇とは執拗にねばっこい。
「由香利……」
校門を出て十数分、翠が震えだした。
「待って、翠。フィールドまであと少しだから」
真っ黒なBMWが私たちの目の前で止まる。中からは、やはり真っ黒ないでたちの優男が一人出てきた。
「迎えに来てよかったみたいだね。やはり間隔が短くなっている」
「晴一さん、目立つから迎えには来ないでってあれほど」
「ここは人通りも少ない。さあ早く乗って」
秋も暮れて、夜が訪れるのも最近早くなってきた。だから私はこの時期が嫌いだ。もう少し、翠と学校にいたかった。
車は国道を外れ、街灯も少ない山道に入る。
「ちゃんと食事は摂ってるかな、ふたりとも」
「……それ、今しなくちゃいけない話?」
「心配なんだよ。高校からはふたり暮しがしたいなんて言うから。もう半年経つんだから、慣れたんだろうね?」
「そりゃあまあ。贅沢を言うなら、あとちょっと、生活費なんとかなんない?」
「無茶を言い出したのはそっちだからね。屋敷の中のほうが何かと都合が良いのに。裸で野に放たれないだけマシだと思ってもらいたいね」
心配だと言ったばかりの舌でこの言い草だ。世間話でごまかそうとしているけど、内心いらだっているのが分かる。
「そんな厳しい目で見ないでくれよ。本業にかかりつけで、儀式から足が遠のいているのは悪いと思っている。今日だって」
「分かってる」
そんなつもりはなかったんだけど、かなり鋭い口調で言葉をさえぎってしまった。自分に言い聞かせて、なるたけゆっくり、落ち着いて、次の言葉を紡ごう。
「分かってるよ、晴一さんは優しい人だって。ただ、家と僕達との板ばさみで、言いたいことがうまく言えないだけだって、分かってる」
「由香利ちゃん……」
両脇を覆っていた木々が晴れ、目の前に巨大なドームが現れた。あそこが目的地、フィールドだ。
「由香利……。剣、私の山吹は……?」
「もう着くからね、斬っていいのはその後だよ」
翠は車に乗ってからずっと、私に身を預けて、丸くなって震えている。生まれ出でるのを待つ胎児のように。
ドームを取り囲むように黒装束が点在している。術者だ。不浄なる者をこの地に招き、この地に封じる呪い師。
BMWはその不気味な輪に吸い込まれるように、坂道を転がり出し、ゆるやかに停車する。
「翠、着いたよ」
地図上には載ってない、GPSでも探知できないこのフィールド。カタカナ言葉でごまかしているが、この中は戦場。殺し合いの場である。私は、そのおぞましい場所へ翠を放り込むためにここにいる。
ドームの中にはもちろん、観客席などない。このドームはただの結界なのだ。向こう側と、こちら側の。向こうに見えないように、こちら側に閉じているだけで、内装など必要あるはずもなかった。
ドームの中心には先客がいる。あまたの死に損い、魍魎がお互いを貪りあっている。もう宴は始まっているというわけだ。
「山吹、ここへ」
何もない空間から、僕の手の内に、一振りの刀が顕在する。僕はその刀を持った腕を、目線の先まで引き上げる。
両の眼を閉じる。まぶたの裏には、山吹を覆う複雑な術式だけが焼き付いている。僕はその円環をひとつずつ消してゆく。まぶたはフィルターである。まぶたを通して、僕の眼光は灼熱と化し、封印を焼き切っていく。その様子は、誰にも視認できない。
全ての円環が燃え散った。玉のような汗が、あごの先から滴り落ちる。僕の仕事はまだ始まったばかりだ。
「山吹よ、門は開いた!後は呆け者のそちが目を覚ますだけ。刮目し、存分に暴れませい」
おう、と刀が啼く。返事ではない。呼応しているのである。翠の、魂と。
次の瞬間、手が軽くなっている。鞘だけが、僕の手に残る。翠が、刀を抜いたのだ。
「ひゅうううううううう!」
笛を吹くように息を吐き、翠は一心に駆ける。水を得た魚のように。魍魎の群れにたどり着くのは一瞬だ。それを見届けてから、僕は鞄からノートを取り出す。何の変哲もない、コクヨのノートである。ただ、記されている内容だけが異様である。
「一の突き、身中深くまで到達。払い刀でもうひとつ。さらに上段から三撃。正面に出来た魍魎の隙間から中心部まで一息で駆け、――天絶ちの舞。群れの一割を消滅」
くるり、と一回転した翠の周りに黒い血の花が出来る。僕はその一連の動作を注視し、その全てをノートに記載する。それが僕のお役目。人には詠者、と呼ばれている。
山吹の封印開放は、僕がたまたま生まれもっていた異能であって、おまけだ。通常なら、数人の術者が小一時間かけて解くものだ。面倒がないといえばそうだが、体力消耗が激しいので、時間をかけて封を解いてもらいたいというのが本音だが、最近はこの異能をありがたく感じるようになってきていた。翠の、桐崎の血が湧き出す時間が早まりつつあるからだ。
桐崎。キリサキ。彼女はその忌まわしい血によって、夜になると眼に見える全てのものを切り裂きたくなるのだそうだ。そして夜が明けると血の騒ぎが収まる。翠の桐崎の血が騒ぎ出すのが早まってきているのは夜が来るのが早くなってきているから、だと思いたい。
「先代は――、ああ、書きながらでいい。先代は、末期には夜と昼の区別がつかなくなった、と言うね」
「それ、今しなくちゃいけない話」
「だから、一日中、この薄暗いドームの中で過ごしたんだそうだ」
先代、それは翠の曾お婆ちゃんのことである。曾お婆ちゃんは100まで生き、この地で戦って死んだのだそうだ。僕と晴一さんはその場に居合わせていなかったけど、10になり、桐崎の血が目覚め始めたころだった翠はその死に様を目にしたそうだ。その話は第三者から聞いた話であり、翠から直接その話を聞いたことはない。聴きたくもなかった。
「だから?」
「翠にはそうなって欲しくない……。お役目を引き継ぐ条件である血の目覚めがあると、家族全員、複雑な面持ちでその報を聞いた。祖母も母も血は受け継がなかったからね、翠も引き継がなければいい、でも家は無くなってしまう……」
晴一さんは目の前の惨状から逃げたくて、でもそれが兄妹の引け目を負ってできないから、こうやって意味のない独り言を愚痴って紛らわしているだけだ。僕が聞く必要は無かった。
「家なんて潰れてしまってもいい……。僕は翠にはこんな」
「晴一さん」
僕は何度、この人の話をさえぎれば良いのか。この人をなだめるのは僕の仕事じゃない。
「それ以上は、翠に対する侮辱になる」
「……すまない」
この狩りは夜明けまで続く。さすがにそこまで晴一さんに構っていられないから、彼が俯いているうちに、近くの縁者に晴一さんのことを任せ、距離を置いた。
……家族って、複雑なんだな。物心ついたうちから桐崎に預けられた僕にはいまいちわからない。が、少し羨ましくもあった。そうやって理屈をこねて、翠から目をそむけることが出来るんだから。
私は翠と共にある。門山の一人子として生まれ、翠が同年に生まれたときから決まっていたことだ。翠を記せ。その生き様を、その神懸った剣技を後世の桐崎に受け継がせるために。
私は記す。そして、頭の中にあるもう一冊のノートには、あの優しく、湖の上を歩くような軽やかさを持った翠の本当の姿を、あらゆるペンで彩って残してあげる。それを、私の子に、そのまた子に、延々と語り継がせるんだ。それは役目じゃない、僕が僕に課した使命だ。
「気だるい」
朝一番のセリフとしては定番だ。時計に目をやれば……9時。
「おお。午前の授業に間に合うじゃないか!」
「じゃあ朝ごはんよ」
軽やかな声が天から降ってきた。
……ついでにブルーベリージャムも降ってきた。
「ああああ!いい加減ジャムは塗るものだって理解して!」
「ふふふ。由香利、甘いの好きでしょ?」
「好きだけど……これは太るわあ」
太ってもいい、と内心思った。今日も、翠のバレリーナのような軽やかさは相変わらずだったから。軽やかさの素がブルーベリージャムの山盛りだとしたら、仕方ない、付き合おう。
闇の底も、遅い朝も、君と共に。

